9784101110196『鮨 そのほか』/阿川弘之/新潮社 新潮文庫/550円+税外部リンク 
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世の中的に知られていないのではないかという書店の日常に、書棚は、ほぼ毎日替わっているという事実がある。棚の大きさに限りがあるのだから、新作が何十冊も発売されれば、その分、押し出される本も多くなる。これは、文庫・新書の棚がとてもわかりやすい。真っ先に消えていくのは、時代の影響が強いエッセイ・対談集。オムニバス作品集も、寿命が短い。他にもいろいろな理由がある――。
文庫のジャンルは、基本的に、帯の色で分けられている。うろ覚えだが、岩波文庫の帯の色を、人の一生に例えた戯れ歌もあったようで、「夢の通い路、黄(き)んいろの帯」というラストだけ記憶している。黄色は古典文学。

文庫の多様化が激しくなってきた80年代の真ん中あたりから、各社で著者名50音順整理番号が採用され始める。新潮文庫ならば、ちょうど帯のあたりに角が丸くなった白い長方形が出現。棚に白い模様が、ずらっと並んだ様子は、当初とても奇妙に見えたが、今は無いほうがさびしい。著者別の背表紙カラーの統一も常識に。

そのころ、新潮文庫棚の最上段左上には、黄土色の背表紙の文庫が、重々しく鎮座していた。志賀直哉最後の弟子、阿川弘之の作品である。

阿川弘之氏は、平成27年8月に、94歳の生涯を終えた。お亡くなりになる5年も前に、事実上、表舞台から引退していたので、訃報にふれ、懐かしく感じた方もいらっしゃったに違いない。もっとも、お嬢様の阿川佐和子氏がパーソナリティを勤めていたラジオ番組で、氏の病状を、コミカルな語り口の中にも、深刻な状況であることを、しばしば伝えていたので、文学者の死というより、介護生活の節目を連想された方のほうが多かったのではあるまいか?

一方、阿川弘之氏の死は、思いがけない形で文庫担当者を驚かせることになる。お亡くなりになった、その月の末に、偶然にも新潮文庫から、阿川弘之氏の新刊が発売された。単行本の文庫化という形で、数ヶ月前より、すでに予定されていたのである。その内容は、氏の人生を総括し、生きてきた時代の空気を色濃く残した、あたかも遺書のような短編集だった。ファンにとって、これ以上かっこいい作家人生の終わり方は、それほど多くない。

書名は、『鮨 そのほか』。「あとがき」によれば、全集に収録できなかったが、重要と思われる作品や対談を、長年連れ添った敏腕編集担当氏が、1冊にまとめた作品集として編まれたという。
若い方には、理解するのに多くの注釈が必要になる作品群なのだが、その分、同時代を生きていた人には、自らの思い出とあいまって、落涙必至なのだ。

かつて、一般には手の届かない「文壇」という国があり、そこには、吉行淳之介や遠藤周作がいた。北杜夫・宮脇俊三… みんないなくなった。時代は変わった。出版をめぐる環境も変わった…。

歳を重ねていくにつれ、「昔、こういうことあったよね」といってうなづいてくれる人は、とうぜん減っていく。若いころラジオから流れていた音楽が聴かれなくなる。文芸作品も映画もスポーツも、思い出話で盛り上がることがなくなる。存在があたりまえだった有名人が亡くなるたび、だんだん、自分の番が近づいてきたこと、自分の生きていた時代が、文字などにしか存在しなくなることが見えてくる。門松をみるたび、覚悟を決めなければならなくなる。人生には、限りがあるから、覚悟は若い方がいいかもしれない。

文/ 新百合ヶ丘エルミロード店・HO
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