小林多喜二、というと、特高に殺されたプロレタリア作家という肩書が先行してしまい、その人となりについては、あまり知られていないのではないでしょうか。
母・セキさんの語り、という形で描き出される多喜二は、
セキさんの純朴であたたかな秋田訛りのおかげもあって、
優しくて、親孝行で、きょうだい思い。
そんな姿が彷彿とされます。
お母さん、ちょっと贔屓目が強いかな。
でも、お母さんだものね。息子はかわいいよね。
可愛くてかわいくて、目の中に入れても痛くない……。
一方、多喜二は、あまりに真面目で、恋に不器用な青年です。
多喜二とタミちゃんの全然進まない恋愛模様を、セキさんから聞かされていると、
「ちがーう。彼女は待っている! 積極的に行けー!!」と背中をどやしたくなるほどです。
多喜二の母・セキさんは、秋田の極貧家庭から13歳でお嫁に出されました。
というと、悲惨な結婚生活っぽいですが、
愛情深い夫とともに、貧しくも幸福な家庭を築きました。
この両親の人柄が、多喜二に強い影響を与えたことが、よくわかります。
貧すれば鈍する、などとは正反対に、
自分の持っているわずかなものも、より貧しく困っている人と分け合って、それで幸せでいられる。
小さな家に、家族が揃っておしゃべりをするのが、何より楽しい。そんな家族でした。
将来は、子供たちそれぞれの家庭を、順番に訪ねては、いろいろ手伝って上げるのが老後の楽しみ。
そんなセキさんに
「わだしの願いは、欲張りな夢だっべか、無理な夢だったべか。
そんなつもりはなかったども、あんな小っちゃな夢でも叶えられんかった。」
と言わしめた現実に、怒りで手が震える思いです。
平成の日本で、格差の拡大や貧困の増加に伴い、
『蟹工船』がリバイバルヒットをしたことは、まだ記憶に新しいと思います。
「今」は、戦前に似ている、などとも言われます。
小林多喜二は、誰もが幸福になれる世の中を作りたい。
そんな願いを持った、心優しい青年でした。
その多喜二が、何故、五寸釘や千枚通しを足に何か所も突き刺されるような死に方をさせらたのか。
セキさんの小さな夢を叩き潰したのは、誰なのか。
考えることを止めてはならないでしょう。
晩年のセキさんは、聖書の教えに、大きな慰めを得ていました。
息子を殺された苦しみを忘れられずにいた時、
聖書の『イエス涙を流し給う』 という言葉を知って、
「イエス様は、こっだらわだしのために泣いてくれる」と語ったセキさん。
その時、彼女の顔に浮かんでいたであろう静かな笑みが、
目に見えるような思いで読了しました。
文/ アトレ目黒店・OR