むかしの味『むかしの味 改版』/池波正太郎/新潮社 新潮文庫/490円+税外部リンク 
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作家がお亡くなりになると、その作家の作品は、次第に書店の棚から消えていく。

広いジャンルで活躍されていた作家の場合、いちはやく入手困難になるのは、エッセイ。
これは、たとえ数年前の話題でも、当時の雰囲気を知らなければ些細な一言さえ解説がつかないと理解できなくなるためで、どんな名文の作品も、この流れに抗うのは困難。

一世を風靡した食エッセイも、何かきっかけがないと、再び巡り合うことは難しくなる。
山本嘉次郎監督の親子丼のお話など、かつてよく引用されていたのに、平成になってからは耳にするのもまれ。

(もっとも、このところ、きっかけが多く復活組に光があたり、興味深い話も多いのですが、話し出すと文章が膨大になるので触れません)

ところが、このパターンにあてはまらない作家も。
たとえば、時代小説の池波正太郎。
没後28年、食エッセイは今も大人気。

池波作品は、食に関わる描写が秀逸で作品の読みどころでもある。
池波作品の食描写だけを紹介する料理番組『うまいが一番』が、5年近くも放送されていたことを、ご記憶の方も多いと思う。

しかし、人気時代小説の延長というだけで今も食エッセイの新作(未収録+再編集)が出版され、増刷がかかっている現状を説明できるだろうか?
お亡くなり後も、なお読み継がれる人気作があるのに、エッセイが入手困難になっている作家とは何が違うんだろう。


もしかしたら、食にまつわる情景描写・感想だけではなく、普遍的な何かがあるからじゃないかしら?
『むかしの味』を読むと、そんな気がしてくる。

まず、宣言がある。大略すると、

・ガイドブックではない
・自分に関わりのあったお店をあげてるだけ

懐かしい人々の話が積み重なると、自然と、過去から今までの食文化の経緯が浮き上がり、今がどうしてこういう状態なのかへ話が向かう。
丹念に読むと、庶民の歩んだ近現代史があらわれてくる。
「今」というのは、高度経済成長期からオイルショックを経てバブル直前まで(執筆は昭和56年から2年間)。
「こういう状態」というのは、食に関してのみ言うならば、当時、マスコミだけでなく、世の中全体の戦前生まれの方々が言っていたこと、すなわち食べ物・食材の値段が高騰し、さらに食材の味が変わったこと(たいてい悪い意味)をさす。
たいていの食エッセイは回顧と批判で終わることが多い中、池波エッセイは、どうして変わったのか、事実に基づいた仮説をたてている。

結論が「昔はよかった」と言い切るタイプのエッセイならば、同世代の熱烈な支持をうけるが、後の世代の読者にはもやもやした読後感が残り、他の作品に手を出しづらくなる。
池波エッセイは、「昔はよかった」と話をすすめているが、昔と今の違いを述べ、今を否定しない。「たいへん」くらいでとどめる。


上記のとおり、池波エッセイは現在も新刊が出版されている情況で、既刊とともに、平成生まれの読者の心をも射止めている。

みまわせば、平成最後の年の書店の棚は食に関する作品が花ざかり。
味覚の記憶や未知の食への想像と活字の世界との親和性の高さは、いまだ解明されない特殊な関わりがあるに違いない。

文/ 藤沢店・HO

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