『向田邦子との二十年』/久世光彦/筑摩書房 ちくま文庫/840円+税
2020年の3月に発売された、ちくま文庫『向田邦子ベスト・エッセイ』が、大好評です。
発売後すぐ人気に火が付き、5月の読売新聞「ポケットに一冊」で紹介され大爆発した、という説が有力です。
『向田邦子ベスト・エッセイ』は、新型コロナウィルスの目に見えない不安が行列などの形で町のいたるところに現れたころ、書店の店頭に並びました。
向田邦子作品の底流には、ちゃぶ台を囲んで、家族そろってご飯を食べていた昭和初期の家族の空気が流れています。
かねてから向田作品は人気がありますが、このところの再評価の気配は、ステイホームで家族が顔を合わす時間が増えたことと、かかわりがあるのかもしれません。
ちくま文庫のベスト・エッセイシリーズは、人気作家のエッセイをゆかりの方が編集し、1冊にまとめたエッセイ集です。
たいてい、重版未定などで読むことが難しくなっている、それなのに懐かしい作品が中心なのですが、『向田邦子ベスト・エッセイ』は現在も書店で購入できるエッセイ集から50編が選ばれ、7つのテーマに再構成されています。
これは選者が編集者ではなく妹の向田和子さんだったからというよりも、向田エッセイならではの特殊事情でしょう。
エッセイは生もののため寿命が短いのですが、文庫版向田エッセイの重版未定作品は、2020年7月現在『六つのひきだし』のみ。
さらに、向田文庫全体でも、新装版に組み替えた作品を除けば、シナリオ集と駆け出しのころの映画評論以外、重版未定作品がありません。
※2020/09/11追記
2020年9月11日現在 文春文庫『森繁の重役読本』が、お品切れになり、ご注文を承ることが、できなくなりました。
そのほか記事内の記述は2020/9/11現在の内容です。
向田さんが本格的に文学作品に取り組んでいた1976~1981年の間の同時代作家のエッセイで、発売当時から出版社を変えることなく売れ続けている文庫を店頭で探すと、池波・司馬を除けば、実はそれほど多くありません。
向田エッセイの息の長さに驚きます。
『向田邦子ベスト・エッセイ』は向田作品の特徴を生かしたテーマを設定しており、執筆時からの歳月をあまり気にすることなく、すいすい読めます。
大半は、往年の向田ファンが、店頭でご覧になり懐かしくてお求めになっているのだと思います。
もちろん、この文庫で初めて向田作品に触れた方も多いでしょう。
販売員としてのおそれは、向田作品に初めて触れる読者が『向田邦子ベスト・エッセイ』1冊だけで満足してしまわないか、という点です。それだけ完成度が高いのです。
オリジナルのエッセイ集は、当時の空気の缶詰のようなものでもあり、雑誌連載をまとめただけのデーターベースというわけではありません。
随筆集『父の詫び状』を、エッセイ『父の詫び状』1編のみで語るのは危険です。
2年半かけた連載作品を、単行本化に合わせ、それぞれの題名を整え、掲載順序を変え、そして冒頭に『父の詫び状』をもってくることで作品群を貫くテーマを明確にしています(これが、作家の意図か編集者の技術か、それとも共同作業だったのかはわかりませんが)。
24編あわせて一つの作品です。
通して読めば、個々の作品の味わいも変わります。
なにより本人の有名なあとがきと、これも有名な沢木耕太郎さんの歴史的な解説を読まないのはもったいない。
『向田邦子ベスト・エッセイ』で、初めて向田作品に出合った読者は、次の1冊をどうするか頭をひねりました。
でも、頭がごちゃごちゃしてきたので、向田邦子さんの思い出話を、「幼馴染み」に、語ってもらうことにしました。
1980年上期・第83回直木賞は、世の中的にもっとも記憶されている文学賞かもしれません。
まず、まだ、雑誌に連載中の短編が、悪く言えば書きかけの状態と言えなくもないにもかかわらず、候補作として推薦されたこと。
そして、その作家が、文壇ではなく「業界」の人間である向田邦子さんだったことです。
次に劇的な選考過程です。
この辺りは、水上勉さんや山口瞳さんが書き残しているので、ご存じの方も多いでしょう。
向田邦子3回忌にあわせ出版された『別冊文藝春秋増刊号』を文庫化(!)した『向田邦子ふたたび』より、引用します。
当初、向田さんは劣勢でした。落選させ、もう1回様子を見ようという場内の空気を一変させたのは、山口瞳さんの一言でした。
「向田邦子は、もう51歳です。そんなに長くは生きられないんですよ」
(文春文庫 『向田邦子ふたたび』 86P)
この言葉は、1年後、現実となり、山口瞳さんを苦しめます。
当時、『週刊新潮』に『男性自身』を連載していた山口さんは、その中で、向田さん遭難直後から8週にわたり、向田さんの追悼文を書き続けました。『木槿の花』です。
「直木賞を取らなければ……(死ななくてすんだ)」
という声がある。テレビのほうの人が、その才能を惜しんで言うのである。詮衡委員会で強力に推した一人である私は胸が痛む。
(ちくま文庫 『山口瞳ベスト・エッセイ』 209P)
「直木賞を取らなければ」の言葉の主は、向田さんの仕事仲間、演出家・久世光彦。
久世さんは、山口さんの「テレビのほうの人」という表現に、複雑な思いを抱きます。
それから10年後、向田さんの歳を超えた久世さんは、向田さんとの思い出を書き始めました。
やがて、その作品は、『触れもせで』『夢あたたかき』という2冊のエッセイ集にまとめられます。
有名な歌人の歌から名づけられたその本は、それまでの文壇から見た向田観を一変させます。
20年に渡り、向田さんと仕事を通じてお付き合いをし、一緒に名作ドラマを作り続け、相手の嘘も見抜けるけど許すほどの間柄になっていた久世さんの文章は、向田ファンを驚かせたのではないでしょうか。
『向田邦子との二十年』は、この2冊を1冊にまとめた、すごい文庫です。
久世さんをよく知る周囲の人たちは、向田邦子と久世光彦は兄弟のようだと言っていたそうですが、ご本人の感覚では、兄弟でも友達でもなく強いて言えば「幼馴染み」なんだそうで。親しいからと言って、何かを暴露するとか自慢するとか、そういう内容の本ではありません。
向田さんには、どうしても華やかなイメージがつきまとい、実際そうだったのでしょうが、それは全体の一部にすぎず、グラビアの知的アイドルではなく、久世さんの眼を通した「どこにでもいそうで、どこにもいない」向田邦子像を紹介しています。
考察もおもしろいです。どうして、映像的な描写が多いのか。なぜ、戦前戦中を生きた人たちのハートをつかむ技術を持っていたのか。そして、作ってすぐ消えてしまうラジオやテレビドラマの仕事が好きだった向田さんが、本腰を入れて文学作品を書き始めたのか……
ひょっとすると久世エッセイの特徴かもしれませんが、古今東西の文学から歌謡曲にいたるまで、引用している作品がとてもユニークです。
たとえば、『青空、ひとりきり』。久世さんの耳には、井上陽水さんのヒットソングが、向田さんの生き方と取り残された私たちを歌っているように聞こえているのです。
言われてみれば確かにそう。久世さんは、知識と教養が広くて深いだけでなく、感性が鋭い。
後に久世さんは、14年の長きにわたって、歌にまつわる思い出を書き綴った名エッセイ『マイ・ラスト・ソング』を残します。
やがて、話は、同世代の共通した感覚に移ります。
久世さんは、1985年から2001年まで、向田邦子作品を原作にした新春スペシャルドラマを作り続けていました。メインキャストはほぼ同じ。最後の作品の題名は『さらば向田邦子・風立ちぬ』。
今思えば、当時ご本人があちこちで、この長寿ドラマの終了について、重要なことをおっしゃっていたように思いますが、覚えていません。
ドラマの最後の黒柳徹子さんのナレーションが、声を詰まらせていた記憶もあります。実際はどうだったかしら。
高度経済成長期あたりから、世の中からお茶の間が消え、ちゃぶ台が消え、怖いお父さんが消え、生活スタイルが変わり、なんでもありの時代がやってきました。
新型コロナが、向田作品の再評価と関係あるか、本当のところわかりません。
でも、もしそうなら、私たちは、無くなってしまった大事な何かを、この数か月の生活の変化を通じて、無意識に探しているのかもしれません。
“大事な何か”が何か、わかりません。作品を通して探し続けることは、きっと意味があります。
宝探しのバトンが、うまくつながりますように。
文/ 藤沢店・HO
時代は変わり、ますます募るあなたへの憧憬|本の泉|有隣堂
2020年の3月に発売された、ちくま文庫『向田邦子ベスト・エッセイ』が、大好評です。
発売後すぐ人気に火が付き、5月の読売新聞「ポケットに一冊」で紹介され大爆発した、という説が有力です。
『向田邦子ベスト・エッセイ』は、新型コロナウィルスの目に見えない不安が行列などの形で町のいたるところに現れたころ、書店の店頭に並びました。
向田邦子作品の底流には、ちゃぶ台を囲んで、家族そろってご飯を食べていた昭和初期の家族の空気が流れています。
かねてから向田作品は人気がありますが、このところの再評価の気配は、ステイホームで家族が顔を合わす時間が増えたことと、かかわりがあるのかもしれません。
ちくま文庫のベスト・エッセイシリーズは、人気作家のエッセイをゆかりの方が編集し、1冊にまとめたエッセイ集です。
たいてい、重版未定などで読むことが難しくなっている、それなのに懐かしい作品が中心なのですが、『向田邦子ベスト・エッセイ』は現在も書店で購入できるエッセイ集から50編が選ばれ、7つのテーマに再構成されています。
これは選者が編集者ではなく妹の向田和子さんだったからというよりも、向田エッセイならではの特殊事情でしょう。
エッセイは生もののため寿命が短いのですが、文庫版向田エッセイの重版未定作品は、2020年7月現在『六つのひきだし』のみ。
さらに、向田文庫全体でも、新装版に組み替えた作品を除けば、シナリオ集と駆け出しのころの映画評論以外、重版未定作品がありません。
※2020/09/11追記
2020年9月11日現在 文春文庫『森繁の重役読本』が、お品切れになり、ご注文を承ることが、できなくなりました。
そのほか記事内の記述は2020/9/11現在の内容です。
向田さんが本格的に文学作品に取り組んでいた1976~1981年の間の同時代作家のエッセイで、発売当時から出版社を変えることなく売れ続けている文庫を店頭で探すと、池波・司馬を除けば、実はそれほど多くありません。
向田エッセイの息の長さに驚きます。
『向田邦子ベスト・エッセイ』は向田作品の特徴を生かしたテーマを設定しており、執筆時からの歳月をあまり気にすることなく、すいすい読めます。
大半は、往年の向田ファンが、店頭でご覧になり懐かしくてお求めになっているのだと思います。
もちろん、この文庫で初めて向田作品に触れた方も多いでしょう。
販売員としてのおそれは、向田作品に初めて触れる読者が『向田邦子ベスト・エッセイ』1冊だけで満足してしまわないか、という点です。それだけ完成度が高いのです。
オリジナルのエッセイ集は、当時の空気の缶詰のようなものでもあり、雑誌連載をまとめただけのデーターベースというわけではありません。
随筆集『父の詫び状』を、エッセイ『父の詫び状』1編のみで語るのは危険です。
2年半かけた連載作品を、単行本化に合わせ、それぞれの題名を整え、掲載順序を変え、そして冒頭に『父の詫び状』をもってくることで作品群を貫くテーマを明確にしています(これが、作家の意図か編集者の技術か、それとも共同作業だったのかはわかりませんが)。
24編あわせて一つの作品です。
通して読めば、個々の作品の味わいも変わります。
なにより本人の有名なあとがきと、これも有名な沢木耕太郎さんの歴史的な解説を読まないのはもったいない。
『向田邦子ベスト・エッセイ』で、初めて向田作品に出合った読者は、次の1冊をどうするか頭をひねりました。
でも、頭がごちゃごちゃしてきたので、向田邦子さんの思い出話を、「幼馴染み」に、語ってもらうことにしました。
1980年上期・第83回直木賞は、世の中的にもっとも記憶されている文学賞かもしれません。
まず、まだ、雑誌に連載中の短編が、悪く言えば書きかけの状態と言えなくもないにもかかわらず、候補作として推薦されたこと。
そして、その作家が、文壇ではなく「業界」の人間である向田邦子さんだったことです。
次に劇的な選考過程です。
この辺りは、水上勉さんや山口瞳さんが書き残しているので、ご存じの方も多いでしょう。
向田邦子3回忌にあわせ出版された『別冊文藝春秋増刊号』を文庫化(!)した『向田邦子ふたたび』より、引用します。
当初、向田さんは劣勢でした。落選させ、もう1回様子を見ようという場内の空気を一変させたのは、山口瞳さんの一言でした。
「向田邦子は、もう51歳です。そんなに長くは生きられないんですよ」
(文春文庫 『向田邦子ふたたび』 86P)
この言葉は、1年後、現実となり、山口瞳さんを苦しめます。
当時、『週刊新潮』に『男性自身』を連載していた山口さんは、その中で、向田さん遭難直後から8週にわたり、向田さんの追悼文を書き続けました。『木槿の花』です。
「直木賞を取らなければ……(死ななくてすんだ)」
という声がある。テレビのほうの人が、その才能を惜しんで言うのである。詮衡委員会で強力に推した一人である私は胸が痛む。
(ちくま文庫 『山口瞳ベスト・エッセイ』 209P)
「直木賞を取らなければ」の言葉の主は、向田さんの仕事仲間、演出家・久世光彦。
久世さんは、山口さんの「テレビのほうの人」という表現に、複雑な思いを抱きます。
それから10年後、向田さんの歳を超えた久世さんは、向田さんとの思い出を書き始めました。
やがて、その作品は、『触れもせで』『夢あたたかき』という2冊のエッセイ集にまとめられます。
有名な歌人の歌から名づけられたその本は、それまでの文壇から見た向田観を一変させます。
20年に渡り、向田さんと仕事を通じてお付き合いをし、一緒に名作ドラマを作り続け、相手の嘘も見抜けるけど許すほどの間柄になっていた久世さんの文章は、向田ファンを驚かせたのではないでしょうか。
『向田邦子との二十年』は、この2冊を1冊にまとめた、すごい文庫です。
久世さんをよく知る周囲の人たちは、向田邦子と久世光彦は兄弟のようだと言っていたそうですが、ご本人の感覚では、兄弟でも友達でもなく強いて言えば「幼馴染み」なんだそうで。親しいからと言って、何かを暴露するとか自慢するとか、そういう内容の本ではありません。
向田さんには、どうしても華やかなイメージがつきまとい、実際そうだったのでしょうが、それは全体の一部にすぎず、グラビアの知的アイドルではなく、久世さんの眼を通した「どこにでもいそうで、どこにもいない」向田邦子像を紹介しています。
考察もおもしろいです。どうして、映像的な描写が多いのか。なぜ、戦前戦中を生きた人たちのハートをつかむ技術を持っていたのか。そして、作ってすぐ消えてしまうラジオやテレビドラマの仕事が好きだった向田さんが、本腰を入れて文学作品を書き始めたのか……
ひょっとすると久世エッセイの特徴かもしれませんが、古今東西の文学から歌謡曲にいたるまで、引用している作品がとてもユニークです。
たとえば、『青空、ひとりきり』。久世さんの耳には、井上陽水さんのヒットソングが、向田さんの生き方と取り残された私たちを歌っているように聞こえているのです。
言われてみれば確かにそう。久世さんは、知識と教養が広くて深いだけでなく、感性が鋭い。
後に久世さんは、14年の長きにわたって、歌にまつわる思い出を書き綴った名エッセイ『マイ・ラスト・ソング』を残します。
やがて、話は、同世代の共通した感覚に移ります。
久世さんは、1985年から2001年まで、向田邦子作品を原作にした新春スペシャルドラマを作り続けていました。メインキャストはほぼ同じ。最後の作品の題名は『さらば向田邦子・風立ちぬ』。
今思えば、当時ご本人があちこちで、この長寿ドラマの終了について、重要なことをおっしゃっていたように思いますが、覚えていません。
ドラマの最後の黒柳徹子さんのナレーションが、声を詰まらせていた記憶もあります。実際はどうだったかしら。
高度経済成長期あたりから、世の中からお茶の間が消え、ちゃぶ台が消え、怖いお父さんが消え、生活スタイルが変わり、なんでもありの時代がやってきました。
新型コロナが、向田作品の再評価と関係あるか、本当のところわかりません。
でも、もしそうなら、私たちは、無くなってしまった大事な何かを、この数か月の生活の変化を通じて、無意識に探しているのかもしれません。
“大事な何か”が何か、わかりません。作品を通して探し続けることは、きっと意味があります。
宝探しのバトンが、うまくつながりますように。
文/ 藤沢店・HO
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