「本書は、東海道を踏破した男の記録である。」と書くと、壮大な本か、と思われるかもしれない。東京から大阪まで、東海道を歩き続けるなんて……どんな苦労があったのか……涙と汗の結晶のような話の連続に違いない、と思われるかもしれない。
江戸時代の旅人は、ほぼ2週間で東海道を歩ききったという。が、著者・久住昌行氏は2年間をかけて歩きききった。2週間を2年間?ということは……そう、久住氏の東海道踏破は、氏の壮大なる散歩の記録である。故に、内容もかなり緩い。汗はあるが、涙はない(初回はあまりの足の痛みに涙するが)。
毎回行けるところまで行って電車で帰ってくる。次は新幹線でそこまで行って続きを散歩する。毎回終電が近づいたら最寄りの駅を探して電車で帰る。途中でビールを飲んだり、おいしいものを食べたり温泉に入ったり、何をしたってOK。だって、散歩なんだから。
紺色のナイロン製のリュックに着替えのTシャツと2枚の下着と靴下とタオルを入れ、サイフとケータイを持って野武士・久住昌行は大阪を目指して家を出た。午前4時34分吉祥寺発の始発電車で出発地点の神保町に向かい、横浜着が午後5時。ここでギブアップ。左股関節の痛みに耐えかね翌日の散歩は断念。1週間後、電車で横浜に赴き第2回目の散歩に臨む。
こうして緩い緩い散歩は続いてゆく。
山を越え、海辺を通り、道に迷い、思いがけず遭遇した名店でも何でもない普通の店の美味に舌鼓を打ったり、名所旧跡ではないけれどノスタルジックな光景に目を奪われたり、人の情に助けられたり。散歩は次から次へと様々なものを提供してくれる。『俺の足は時計の秒針だ。あるいは柱時計の振り子だ。コチコチ右左とただ単純に歩いている。俺はこのかけがえのない時間を自分の足で生み出している。ずいぶん長いことぶ厚い本の中にいた。たいしてタメになる本でもなかったが、俺は全ページ楽しんできた。あとちょっとしかない。もはや結末なんてどうでもよい。』
散歩の最終目的地・大阪城を目前に、野武士・久住昌行は2年間の散歩を振り返る。この壮大なる(?)散歩の記録は、気負わなくても東海道を歩けてしまうということを教えてくれた。ただただブラブラと、気の向くまま足の向くまま。大人の散歩ならば悲壮感を負うこともなく目的地にたどり着けるということも実証してくれた。
自分もいつか大人の散歩をしてみたいな、という前向きな感想を持った。
文/ たまプラーザテラス店・MH