『天下一品-食いしん坊の記録』/小島政二郎/河出書房新社 河出文庫/760円+税
「向田邦子さんが選んだ食いしん坊に贈る100冊」をご存じでしょうか?
今から40年前の1981年2月、渋谷で開催された書店イベントのために、向田邦子さんが選書したリストです。
向田さんの特集本が出版されると、しばしばとりあげられ、その都度話題になります。
最近では『向田邦子の本棚』で紹介され、また、今年2021年1月、南青山で開催された向田邦子没後40年特別イベント「いま、風が吹いている」の会場内で、100冊すべての本を展示していたと耳にしました。
100冊の書名・作家名を順番にながめているだけでも、想像がふくらみ楽しいです。
たとえば、書名と書名の間に、なんとなく区切りがあるように見える。
きっと男の厨房とか同時代の編集者とか、いくつかのカテゴリーがあったのでは、と仮定してみる。
すると、会場内の様子が浮かび上がってきます。
選ばれていない本について考えるのも、おもしろいです。
気になるのが、食随筆の発展に貢献した作家、小島政二郎(こじままさじろう)氏の本があげられていないことです。
向田随筆集『眠る杯』には、水羊羹を愛でる作法を論じた『水羊羹』が収録されています。
文芸ジャーナリストの金重敦之さんは、河出文庫版『食いしん坊』のあとがきで、向田さんは小島氏が『食いしん坊』に書いた水羊羹に関する文章を読んでいるのではないか、と指摘されています。
向田さんと小島氏は、水羊羹に対する姿勢が真逆です。向田さんが一つの水羊羹だけを愛おしむように味わうのに対し、小島氏は冷蔵庫に大量に保管し、20個くらい「貪り」食います。
食に対する感性の相違が、おすすめしなかった理由かもしれません。
小島氏は、根っからの食いしん坊なのです。
戦後食随筆の歴史を紐解くと、必ずたどりつく雑誌に、大坂・鶴屋八幡の広報誌『あまカラ』があります。1951年から17年間にわたり、当時活躍していた文化人の食随筆を発表しつづけた雑誌です。
このジャンルの基礎を作った文化事業といっても過言ではありません。
掲載された作品群は様々な形で纏められ、好評を博しました。創刊時より『あまカラ』の顧問だった作家が、小島氏です。当初、原稿料はお菓子でした。
小島氏の書いた膨大な数の随筆は、『食いしん坊』と名づけられ出版され、大ベストセラーになりました。
食文化史の記録としてだけでなく、大正昭和の貴重な文壇史としての評価も高いのですが、新刊書店では入手が難しいです。
2021年3月現在、有隣堂藤沢店で購入できる小島氏の食随筆集は、河出文庫『天下一品-食いしん坊の記録』です。
1976年7月から1978年2月まで、『小説宝石』に『食いしん坊の記録<天下一品>』という題で連載され、全20回のうち15回分12編が選ばれ、1978年4月に出版されました。
甘いものとロース肉・ウナギ・天ぷらが大好きで、野菜はあまり好きではなく、家族を相手にお雑煮でけんかし、東京のうまいラーメンを食べ歩く……。
これだけ聞くと、30歳か40歳の働き盛りのお父さんのように見えますが、小島氏は、執筆当時80歳を超えているのです。
懐かしい人たちとの交流・失われつつある味の回顧談なども多彩な内容で、食随筆の魅力にあふれています。
ひっかかるのが、批判のスタイル。
令和の現在、このやり方を貫くと、作家は火だるまになる覚悟がいります。
ところが、本人は、いたってまじめ、真剣そのもの。
小島氏は、作家としてのプライドなのか、生まれついた性格なのか、嘘ということに、どうも強いこだわりがあったようです。
作品でも現実でも、事実を言わなければ嘘になるので、つい言ってしまう。
自分に嘘をつかず、伝えたいことを、口にしたり原稿にしたりしていたように見えます。
ですが、言われた側はたまらない。
ましてや活字になった場合、打撃はものすごいことになります。
当時の編集の方・ご担当の方は、とても苦労したのではないでしょうか。
実際のところ、数多くの敵をつくり、仕事にも影響をもたらしたようです。
ある雑誌編集者は、記事というものは「(相手が)抗弁できないような形で載せるべきではない」という信念のもと、地元の商店を批判する小島氏の原稿を没にしたという話が、昨年、新聞のコラムで紹介されていました。
文壇界隈で有名な事件は、小島氏が創設以来かかわってきた直木賞の選考委員解任の件でしょう。
1966年、さまざまな理由から直木賞選考委員を解任され、親友だった文芸春秋社社長・佐佐木茂索氏との間に亀裂を生んだ事件です。
この一件、いろいろと活字で残され、何より小島氏本人も作品にしているのですが、今となっては探すのが困難です。
直木賞に関して詳しいブログ『直木賞のすべて 余聞と余分』の2010年5月30日の記事に詳細が載っています。
これを読むと、解任事件とそれに連なるもろもろの事が、小島氏に相当のショックを与えていたことが読み取れます。
マイナスの話ばかりでは、気がめいります。
小島氏の批判が、当時どのように世間に受け入れられたかわかりませんが、単行本が出版されるほど支持されていたのには、その言葉にある種の正義があったからかもしれません。
小島氏は、商売に親切を求めます。必要以上に稼ごうとすることを嫌います。機械による大量生産を呪います。利益をあげるために商品の質を落とす会社を許しません。
1960年代から70年代は、食の安全について強く叫ばれはじめた時代でした。
マスコミは、戦前にくらべ、食べ物の味が落ちたことを何かというと口にしていました。
時代の要請にこたえ、消費者基本法が制定されたのは、1968年です。
そのような背景を知ったうえで『天下一品』を読み返すと、小島氏の論調は時代の空気を活字化したようにもみえます。
すこし懐かしいたとえですが、始まったばかりのころの『美味しんぼ』の、海原雄山と山岡士郎がタッグを組んで、ペンで世間と戦っているイメージ。
そういえば『美味しんぼ』が『ビッグコミックスピリッツ』で連載を開始するのは、『天下一品』出版からおよそ5年後の、1983年10月。
ふりかえれば『美味しんぼ』の初期の作品は、小島氏の批判というか希望をかなえていく話が多かったようにも感じます。
食材の変化を扱った、『トンカツ慕情』(単行本11巻・文庫版8巻に所収 ともにお品切れ)などの作品群は、小島氏が主張している内容と方向が一緒です。
※2021年3月現在、『美味しんぼ』を、新刊書店ですべてそろえることは、単行本・文庫ともに、難しくなっています。
とはいうものの、『天下一品』の手厳しい表現をこころの準備をしないで読むと「カチン」とくるのも確かな話で……。
小島氏は、時代の変化に眉をひそめる読者・昔はよかったと共感するご老人に向けてのみ、語りかけていたのでしょうか。
もしかしたら感情に強く訴える技術を駆使し、世の中に、立ち止まって振り向いてもらおうと企んだのかもしれません。
もっとも、本当のところは、当時のご関係者にうかがわない限り、永遠にわからないでしょう。
1994年3月24日、小島政二郎氏はお亡くなりになりました。
享年100歳。
作品も事件も人柄も、話題になることが絶えて久しいです。
しかし、忘れ去るにはちょっともったいない作家だと思いませんか、栗田さん。
文/ 藤沢店・HO
⇒ 『向田邦子ベスト・エッセイ』
時代は変わり、ますます募るあなたへの憧憬
⇒ 久世光彦 『向田邦子との二十年』
あのころの人たちが、みんなどこかに行ってしまっても
「向田邦子さんが選んだ食いしん坊に贈る100冊」をご存じでしょうか?
今から40年前の1981年2月、渋谷で開催された書店イベントのために、向田邦子さんが選書したリストです。
向田さんの特集本が出版されると、しばしばとりあげられ、その都度話題になります。
最近では『向田邦子の本棚』で紹介され、また、今年2021年1月、南青山で開催された向田邦子没後40年特別イベント「いま、風が吹いている」の会場内で、100冊すべての本を展示していたと耳にしました。
100冊の書名・作家名を順番にながめているだけでも、想像がふくらみ楽しいです。
たとえば、書名と書名の間に、なんとなく区切りがあるように見える。
きっと男の厨房とか同時代の編集者とか、いくつかのカテゴリーがあったのでは、と仮定してみる。
すると、会場内の様子が浮かび上がってきます。
選ばれていない本について考えるのも、おもしろいです。
気になるのが、食随筆の発展に貢献した作家、小島政二郎(こじままさじろう)氏の本があげられていないことです。
向田随筆集『眠る杯』には、水羊羹を愛でる作法を論じた『水羊羹』が収録されています。
文芸ジャーナリストの金重敦之さんは、河出文庫版『食いしん坊』のあとがきで、向田さんは小島氏が『食いしん坊』に書いた水羊羹に関する文章を読んでいるのではないか、と指摘されています。
向田さんと小島氏は、水羊羹に対する姿勢が真逆です。向田さんが一つの水羊羹だけを愛おしむように味わうのに対し、小島氏は冷蔵庫に大量に保管し、20個くらい「貪り」食います。
食に対する感性の相違が、おすすめしなかった理由かもしれません。
小島氏は、根っからの食いしん坊なのです。
戦後食随筆の歴史を紐解くと、必ずたどりつく雑誌に、大坂・鶴屋八幡の広報誌『あまカラ』があります。1951年から17年間にわたり、当時活躍していた文化人の食随筆を発表しつづけた雑誌です。
このジャンルの基礎を作った文化事業といっても過言ではありません。
掲載された作品群は様々な形で纏められ、好評を博しました。創刊時より『あまカラ』の顧問だった作家が、小島氏です。当初、原稿料はお菓子でした。
小島氏の書いた膨大な数の随筆は、『食いしん坊』と名づけられ出版され、大ベストセラーになりました。
食文化史の記録としてだけでなく、大正昭和の貴重な文壇史としての評価も高いのですが、新刊書店では入手が難しいです。
2021年3月現在、有隣堂藤沢店で購入できる小島氏の食随筆集は、河出文庫『天下一品-食いしん坊の記録』です。
1976年7月から1978年2月まで、『小説宝石』に『食いしん坊の記録<天下一品>』という題で連載され、全20回のうち15回分12編が選ばれ、1978年4月に出版されました。
甘いものとロース肉・ウナギ・天ぷらが大好きで、野菜はあまり好きではなく、家族を相手にお雑煮でけんかし、東京のうまいラーメンを食べ歩く……。
これだけ聞くと、30歳か40歳の働き盛りのお父さんのように見えますが、小島氏は、執筆当時80歳を超えているのです。
懐かしい人たちとの交流・失われつつある味の回顧談なども多彩な内容で、食随筆の魅力にあふれています。
ひっかかるのが、批判のスタイル。
令和の現在、このやり方を貫くと、作家は火だるまになる覚悟がいります。
ところが、本人は、いたってまじめ、真剣そのもの。
小島氏は、作家としてのプライドなのか、生まれついた性格なのか、嘘ということに、どうも強いこだわりがあったようです。
作品でも現実でも、事実を言わなければ嘘になるので、つい言ってしまう。
自分に嘘をつかず、伝えたいことを、口にしたり原稿にしたりしていたように見えます。
ですが、言われた側はたまらない。
ましてや活字になった場合、打撃はものすごいことになります。
当時の編集の方・ご担当の方は、とても苦労したのではないでしょうか。
実際のところ、数多くの敵をつくり、仕事にも影響をもたらしたようです。
ある雑誌編集者は、記事というものは「(相手が)抗弁できないような形で載せるべきではない」という信念のもと、地元の商店を批判する小島氏の原稿を没にしたという話が、昨年、新聞のコラムで紹介されていました。
文壇界隈で有名な事件は、小島氏が創設以来かかわってきた直木賞の選考委員解任の件でしょう。
1966年、さまざまな理由から直木賞選考委員を解任され、親友だった文芸春秋社社長・佐佐木茂索氏との間に亀裂を生んだ事件です。
この一件、いろいろと活字で残され、何より小島氏本人も作品にしているのですが、今となっては探すのが困難です。
直木賞に関して詳しいブログ『直木賞のすべて 余聞と余分』の2010年5月30日の記事に詳細が載っています。
これを読むと、解任事件とそれに連なるもろもろの事が、小島氏に相当のショックを与えていたことが読み取れます。
マイナスの話ばかりでは、気がめいります。
小島氏の批判が、当時どのように世間に受け入れられたかわかりませんが、単行本が出版されるほど支持されていたのには、その言葉にある種の正義があったからかもしれません。
小島氏は、商売に親切を求めます。必要以上に稼ごうとすることを嫌います。機械による大量生産を呪います。利益をあげるために商品の質を落とす会社を許しません。
1960年代から70年代は、食の安全について強く叫ばれはじめた時代でした。
マスコミは、戦前にくらべ、食べ物の味が落ちたことを何かというと口にしていました。
時代の要請にこたえ、消費者基本法が制定されたのは、1968年です。
そのような背景を知ったうえで『天下一品』を読み返すと、小島氏の論調は時代の空気を活字化したようにもみえます。
すこし懐かしいたとえですが、始まったばかりのころの『美味しんぼ』の、海原雄山と山岡士郎がタッグを組んで、ペンで世間と戦っているイメージ。
そういえば『美味しんぼ』が『ビッグコミックスピリッツ』で連載を開始するのは、『天下一品』出版からおよそ5年後の、1983年10月。
ふりかえれば『美味しんぼ』の初期の作品は、小島氏の批判というか希望をかなえていく話が多かったようにも感じます。
食材の変化を扱った、『トンカツ慕情』(単行本11巻・文庫版8巻に所収 ともにお品切れ)などの作品群は、小島氏が主張している内容と方向が一緒です。
※2021年3月現在、『美味しんぼ』を、新刊書店ですべてそろえることは、単行本・文庫ともに、難しくなっています。
とはいうものの、『天下一品』の手厳しい表現をこころの準備をしないで読むと「カチン」とくるのも確かな話で……。
小島氏は、時代の変化に眉をひそめる読者・昔はよかったと共感するご老人に向けてのみ、語りかけていたのでしょうか。
もしかしたら感情に強く訴える技術を駆使し、世の中に、立ち止まって振り向いてもらおうと企んだのかもしれません。
もっとも、本当のところは、当時のご関係者にうかがわない限り、永遠にわからないでしょう。
1994年3月24日、小島政二郎氏はお亡くなりになりました。
享年100歳。
作品も事件も人柄も、話題になることが絶えて久しいです。
しかし、忘れ去るにはちょっともったいない作家だと思いませんか、栗田さん。
文/ 藤沢店・HO
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